大阪高等裁判所 平成2年(ネ)1681号 判決 1992年4月28日
控訴人
田上綱彦
右訴訟代理人弁護士
鎌倉利行
同
檜垣誠次
同
畑良武
同
山本次郎
同
持田明広
同
堀井昌弘
同
佐竹真之
被控訴人
学校法人大阪工大摂南大学
右代表者理事
藤田進
右訴訟代理人弁護士
亀田得治
同
中藤幸太郎
同
熊谷尚之
同
高島照夫
同
大久保純一郎
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 控訴人が、被控訴人との間に、雇用契約上の地位を有することを確認する。
3 被控訴人は、控訴人に対し、昭和五九年八月一日以降毎月金四六万八九八〇円を支払え。
4 訴訟費用は、第一・二審とも、被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文と同旨
第二事案の概要
次に付加する外は、原判決中の「事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人の主張
1 控訴人が、昭和五七年八月一日被控訴人の常務理事に就任した際、被控訴人との間で、本件雇用契約を黙示に合意解約した事実はない。すなわち、
(一) 被控訴人が、控訴人に対し、事務局長を辞任して常務理事に就任してはどうかと持ち掛けたのは、昭和五七年七月六日の料亭「芝苑」で被控訴人の藤田勇理事と会談した時が初めてである。控訴人は、右会談において、藤田勇理事の執拗な勧誘を受けて、最終的には、常務理事への就任を受諾したが、なお態度を決めかね、翌七日、被控訴人の理事長に面談した際、改めて、常務理事就任は時期尚早なので、事務局長の職に留りたい旨を申し入れた。ところが、理事長は、前言の撤回は許されないとして、理不尽にも突然怒り出し、強く常務理事就任を迫り、控訴人の右申し入れを聞き入れようとはしなかった。
(二) そして、同年七月二〇日開催の被控訴人理事会で、控訴人を常務理事に選任することが決議され、その議事録には、提案説明として、「七月三一日付事務局長を解任のうえ、八月一日付常務理事に選任したい。なお、田上常務理事は、八月一日付で学園の職員ではなく、特別職(役員)となる。」と記載されているが、右理事会の席上では、控訴人に対し、常務理事就任に伴い職員を退職するとか、特別職になるとかの説明はなく、控訴人にも、職員身分まで失うとの認識は全くなかった。
(三) 控訴人は、被控訴人の学園創設者で功労者であった田上憲一の孫であり、かつ、被控訴人の理事で高校校長をも務めた田上晶夫の子でもあって、昭和三六年に被控訴人の専任事務職員に採用され、以来約二四年の長きに亘り被控訴人に勤務し、被控訴人の学園の運営と発展に人生を捧げる決意で、学園生活を送ってきた者である。控訴人が被控訴人の学園に寄せる愛着は極めて強くかつ密接なもので、控訴人は、終生被控訴人に留り、経験を積み、力を蓄え、学園発展のために尽力する強い決意の下で、常務理事に就任したのであって、右就任によって、被控訴人の職員身分を失うなどとは毛頭考え及ばないところであった。
(四) 一般に、学校法人においては、職員役員兼務の原則が管理機構の人事面における機軸となっており、教育職員である教授が常務理事を兼務したり、職員身分を有する控訴人が理事であったことは、被控訴人も認めているところである。したがって、学校法人においては、常務理事就任により、職員身分を失うとの実定法ないし慣習法上の法理は存しない。
(五) また、被控訴人の役員等退任慰労金規定三条に、「専任の職員がその身分を保有して引き続き常勤する役員に就任した場合は、期間を通算する。」旨規定しているのは、私立学校における職員役員兼務の原則の存在を前提に、被控訴人においても、退職金算定期間の通算を定めたものである。控訴人が被控訴人の常任理事に就任した際、被控訴人理事長が控訴人の退職金を通算する措置を採って、職員としての退職金を支給しなかったのも、右規定に従ったからに外ならない。
(六) 控訴人は、常務理事就任に伴い、職員を退職したとの辞令の交付を受けていないが、辞令の交付は、雇用契約が解約されたことを本人に明確に認識させる極めて重要な行為であり、それをも欠く合意解約を認めることは、基本的人権の尊重と手続上の正義の実現に著しく反する。
また、被控訴人発行の学報にも、控訴人につき、「事務局長を解く。」とのみ公示され、職員退職の公示は一切されていない。
2 そもそも、本件は、被控訴人の理事長藤田進が、すべての権限を自己に集中させ、学園の私物化を謀る過程で、故田上憲一の孫として校友会等から次期理事長の声が上がっていた控訴人を被控訴人から放遂する目的で企てられた事件である。
藤田進理事長は、常務理事への就任によって控訴人の職員身分を喪失させるとの策略を気付かれないよう、自己の独断裁定で行える事柄については、控訴人の職員身分喪失を前提とした内部処理を行う一方、公的かつ控訴人が気付くと思われる事柄については、あたかも職員身分が継続しているかのような処理をしていたのであって、控訴人としては、職員退職辞令の交付も受けず、学内報の職員退職欄にも記載がなく、退職金の支給もない以上、私学法上の職員役員兼務の原則に従って、常務理事に就任しても職員身分は喪失しないと考えたとしても当然である。
3 被控訴人の後記主張2は争う。
二 被控訴人の認否及び主張
1 控訴人の右主張は争う。
2 被控訴人は、控訴人に常務理事への就任を申し入れるに際し、併せて職員たる地位の解約、すなわち雇用契約の合意解約をも黙示的に提案し、控訴人も、それを認識しながら常務理事への就任を受諾した。したがって、控訴人は、右受諾によって、職員たる身分を保有させていた被控訴人と控訴人間の雇用契約を解約することを黙示的に承諾したものである。
(一) 控訴人の常務理事就任が理事会で承認された後の昭和五七年七月二七日、控訴人は、昭和四五年に松前健を被控訴人の常務理事に選任した際の理事会議事録の写しを持参して、藤田進理事長に対し、松前健元常務理事が職員身分を凍結したまま常務理事に就任したのと同様に、控訴人についても、退職の扱いではなく、職員身分を凍結するよう申し入れたが、同理事長は、定年が間近であった松前健と同じ扱いはできないとして、これを断った。
そして、同理事長は、控訴人が職員を退職したことに伴う退職金の支給について、控訴人と協議したが、その結果、右退職金は直ちには支給せず、常務理事就任期間をも通算して、常務理事を退任した際に併せて支給することが合意された。
右協議の際のこれらの控訴人の対応は、常務理事への就任に伴い職員身分を喪失したことを、控訴人自ら認識していたことを物語るものに外ならない。
(二) 控訴人を常務理事に選任した昭和五七年七月二〇日の理事会議事録には、「田上常務理事は八月一日付で学園の職員ではなく、特別職(役員)となる。」と明記されており、控訴人は、右記載内容を原稿の段階でチェックして、右議事録に記名押印しているのであるから、控訴人に職員身分を失うことへの認識があったことは明らかである。
(三) 被控訴人は、右合意解約によって控訴人が職員を退職したことを前提として、被控訴人の学園内部の各部署で、次のような事務処理、すなわち、給与発令通知の不交付、役員・職員録の職員部分への不掲載、事務職員会からの脱会、同会からの餞別金交付、身分証明書の不交付等々を行ったが、永年事務局長を務めた控訴人にとっても、右の事務処理が職員身分の喪失を前提として行われていることは十分承知していた。
(四) その後、控訴人は、昭和五七年一一月一五日付け角井五平次宛て書簡において、「定年まで安泰の事務局長を退き、身分の保障のない常務理事を何故受けたかとのおしかりを受けた。」とか、「常務理事への就任は、いわば二年後の任期満了時にクビになる白紙委任状を渡すのと同じである。」とか、当時の心境をるる述べ、また、昭和五八年三月二四日付けの藤田進理事長宛て書簡においても、「事務局長を辞して常務理事に就任することに伴う身分の不安定といった件の不安を度外視して、常務理事就任を受諾した。」旨を訴える等しているが、これら書簡の内容は、いずれも控訴人が、常務理事就任に伴い身分の保障を失うこと、すなわち職員身分を喪失することを認識していたことを如実に示すものである。
第三争点に対する判断
当裁判所も、控訴人は、被控訴人の常務理事への就任を受諾したことによって、被控訴人との間の本件雇用契約を解約することに黙示的に合意したものと認定判断するものであるが、その理由は、次に訂正、付加する外は、原判決の「争点に対する判断」に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決五枚目表二行目の「深夜」(本誌五七一号<以下同じ>27頁2段28行目)を「午前一時頃」に、同裏六行目の「辞任届」(27頁3段20行目)を「辞任願」に、同八枚目表七行目の「三一日」(28頁2段9行目)を「二四日」に、同一二枚目裏三行目の「役員等慰労金」(28頁2段23行目)を「役員等退任慰労金」と各改める。
二 もっとも、
1 控訴人は、控訴人のみならずその祖父や父の代を通じて、永年にわたり被控訴人学園と特別の密接な関係を築いて来たことから、常務理事に就任したからといって、職員身分を失うことなど毛頭考えていなかったし、昭和五七年七月二〇日の理事会でも、常務理事就任に伴い職員を退職するとかの説明もなかったと主張する。
しかし、前記認定のとおり、(1) 右七月二〇日の理事会では、控訴人を常務理事に選出するとともに、学園の職員を退き役員に専任することが正式に決議され、直ちに控訴人にその旨伝えられて、控訴人もこれを受諾し、後日、同理事会議事録の原案を示された際にも、控訴人は、その内容に異議を挿むことなく、同内容の正式の議事録に記名押印をしたこと、(2) 控訴人が、右理事会に先立つ昭和五七年七月七日、藤田進理事長に面談し、事務局長兼務のまま常務理事に就任したい旨を希望したり、同年七月二七日に、旧い理事会議事録(証拠略)の写しまで持参して、理事長を訪ね、松前健元常務理事と同様に、職員身分を凍結する取扱いを求めたのに対し、理事長がこれを拒否したこと、等からも、控訴人には、当時、常務理事に就任することによって職員の身分を失うことの認識を有していたことは明らかである。
控訴人の右主張に副う(証拠略)の記載内容、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果は、原審における被控訴人代表者本人尋問の結果に照して、採用できない。
2 また、控訴人主張のように、一般に、学校法人においては、職員役員兼務の原則が管理機構の人事面における機軸になっているとの事実を認めるに足りる的確な証拠はないし、また、学校法人において、常務理事に就任することにより、職員の身分を失うとの実定法なし慣習法上の法理はないにしても、前記認定の如く、控訴人が被控訴人の常務理事に就任するに際し、被控訴人の職員としての雇用関係を合意解約することは、有効と解すべきである。
3 次に、控訴人は、藤田進理事長が、控訴人の常務理事就任の際、その退職金を通算する措置を採って、職員としての退職金を支給しなかったのは、職員と役員兼務の原則に基づく役員等退任慰労金規定三条の定めに従ったものであると主張する。
しかし、被控訴人理事長が、控訴人主張の退職金を支給しなかった経緯は、原判決一二枚目表四行目(29頁2段8行目)から同一三枚目表八行目(29頁3段14行目)までに認定のとおりであるから、右退職金の不支給をもって、控訴人の職員身分が継続している証左とすることはできない。
4 さらに、控訴人は、常務理事就任に伴う職員退職の辞令交付がなく、被控訴人発行の学報に控訴人の職員退職の公示のないことをも、控訴人の職員身分継続の根拠として主張する。
しかし、被控訴人では、事務職員の退職に当り、辞令を交付したり、学報に公示したりするのは、具体的な職務を担当していた職員につき、その具体的な職務を解く旨の辞令を交付し、かつ、その旨公示するに止めており、参事等の事務職の資格自体を解く旨の辞令は交付していなかったこと、そのため、控訴人に関しても、単に事務局長を解く旨の交付と、その旨の公示しか行わず、事務職資格の喪失については、辞令の交付や学報への公示をしなかったものである(証拠・人証略)。
以上の外、右の辞令の不公付や、学報への不公示をもって、控訴人職員身分継続の根拠とすることはできないことは、原判決一一枚目表六行目(29頁1段11行目)から同一二枚目表三行目(29頁2段7行目)までに記載のとおりである。
5 そして、控訴人主張のように、本件が、被控訴人内部のいわゆる理事長派といわゆる田上派と目される一派との抗争を背景にして生じたものであるとしても、前記認定の事実関係の下では、本件雇用契約が被控訴人と控訴人の黙示的な合意によって解約されたことを左右するには足らないというべきであるし、その他、控訴人が、本件雇用契約を合意解約したことはないと種々主張するところは、証拠上、認め難いか、控訴人の独自の見解に基づくもので、前記の如く、本件雇用契約の合意解約の認定を左右するものではない。
6 したがって、控訴人の右主張は、いずれも採用し難い。
第四結論
以上の次第で、本件雇用契約は、控訴人が昭和五七年八月一日付けで常務理事に就任するのに伴い、同年七月末日付けで事務局長を辞任したのと同時に、黙示的な合意により解約されたものというべきであるから、控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がなく、棄却すべきである。
よって、これと同旨の原判決は正当であって、本件控訴は、理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 後藤勇 裁判官 小原卓雄 裁判官東條敬は退官のため署名押印できない。裁判長裁判官 後藤勇)